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[随筆]吉成庸子物語「思い出話」前編【2025年6月号3面】

2025-06-05
カテゴリ:コラム
 春の声を聞くとどこか心が弾む。やはり暖かいというのは人の気持ちを柔らかくしてくれるのかもしれない。夜、仕事が早く終わった時、あれも書きたい、こんな事も書いておきたいという思いが湧いてきているのは季節のせいだろうか。

 気が付いたら原稿用紙がなかったので泣く泣く「シモジマ」さんへ買いに行った。店内を探してみたが見当たらない。お店の人に聞いたら「あれ?原稿用紙たしかあったんだけど、どこだったかな」と言いながら親切に探してくれた。「ありがとう。今どき手書きする人なんていないわよねえ。みなさん、パソコンとかでやるものねえ」と私は思わずそう言ってしまい、お礼を言って店を出た。なんだか自分でおかしさがこみあげてきて、一人笑ってしまった。
 
 パソコンどころかワープロさえ上手に打てない私。スマホは一応持っているが、最初に買ったガラケ―の方を多く使っている。まったく世の流れから遅れている。昔はこんなじゃなかったのにむしろ何でも流行とか新しい物にはとびついていったのに…。「いつから私、努力しない人、面倒なことに一切かかわらない人になってしまったのだろう」と考えてみた。すぐに気がついた。「私、年とったんだわ」と。年配者だって新しいことをやっている方々はたくさんいるのだが、やっぱり私は落ちこぼれているのだ。
 
 家に帰って好きなコーラを飲んでから、椅子に座り、久し振りに昔のことを思い出してみる。私の生まれは東京、四人きょうだいの一番上だ。昔から市原と東京に家があったのだが、あくまで本家は市原の山奥の家で、二才になると市原に住んだ。父は余り家に帰ってこない人だったが、たくさんのお客様や当時まだ千葉にいた芸者さんもつれて帰宅して宴会をしていた。
 
 父の姉が結婚した後、すぐに帰ってきてしまったので、私はその伯母に本当になついた。伯母が東京の方と再婚し、私は伯母に呼ばれるまま、その嫁ぎ先の東京に連れていかれた。伯父もいい人で可愛がってくれた。しかし父から「小学校は市原の学校に入るように」と言われ市原の家に戻った。弟や妹とすぐに仲良くなり、隣近所にも友人がたくさんできた。四年生の二学期まで山道を四キロ半歩いて学校に通った。 (続く) 

作/吉成庸子
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