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トピックス

〔随筆〕吉成庸子物語【2024年3月号2面】

2024-03-01
カテゴリ:コラム,連載
儀ちゃんとの思い出 二話

第一話


まだ二月なのに変に暖かい日が続いている。河津桜や早咲きの桜が咲きだして、テレビ画面で観たのだが本当に美しい。
桜の花が大好きだった儀ちゃんのことが思い出される。特攻隊だった彼は歌があまり好きではないらしく、カラオケが始まっても滅多に歌わなかった。だけど、あれはどなたの会か忘れたが、宴たけなわになった時いきなり儀ちゃんが「歌います」と言って歌い出した。「貴様と俺とは同期の桜~」で始まる軍歌だった。アカペラで大きな声で…。

歌い終わった後で彼は言った。「戦争は絶対にやってはなりません」と。そしたら同年代の出席者が儀ちゃんの隣に来て「僕にも一曲歌わせて下さい。僕も戦争体験者ですから」と言ってから「ああ、堂々の輸送船」とか言う歌を歌った。
そして「戦争は二度とあってはならないことです。そう強く思っているのは吉成さんや僕らの世代だと思います」と仰った。 私は主催者の所へ行って「ごめんなさい。軍歌の会みたいになっちゃって」と謝った。「いや、かまいません。本当に戦争はやってはならないことですから」と笑顔で言って頂きホッとした。
だけど、青春時代を戦争時代で送った儀ちゃんには今も戦争の頃の思いはしっかり心の中にあるのだろうと強く感じた日だった。

第二話


あれは確か夏の終わりの日曜日だと思う。「金魚が何匹か少なくなってしまったので金魚を買いに行ってくる」と儀ちゃんが言った。
「歩いて行ったら遠いわよ」と私が言うと「大丈夫だ。自転車で行くから」と儀ちゃんは答えた。「そう、じゃ車に気を付けてネ」と私が注意すると「子供に言う様なこと口にするな!」といばって言い返し出て行った。

それから2時間近くしたのに彼の帰ってきた気配はない。「遅いなぁ」と思いながら玄関を何気なく開けてみると自転車が倒れていて、ビニール袋から飛び出したらしい金魚が三匹、土の上でピクピク動いている。
私は急いで外に出て、側に投げ出されているビニール袋に三匹の金魚を入れてやった。袋の中には七匹の金魚が入っていた。
「ああ、十匹買ったんだな」と思いながら取りあえず全部の金魚を池に放した。幸いにも十匹共すぐ泳ぎ出したから一安心。
それにしても儀ちゃんは何処に行ったんだろうと首をかしげながら家の中に入ると、何か苦しげな声が聞こえてくる。「えっ、何だろう?」と思って茶の間をのぞいたら部屋の真ん中に儀ちゃんが上を向いて倒れていた。

「お父さん、どうしたの?」驚いて近寄ったが、儀ちゃんはゼェーゼェー大きな息を吐くだけ。私は慌てて水を持って来て、やっと儀ちゃんを助け起こし水を飲ませた。
二十分くらい経ってから儀ちゃんはやっと話が出来るようになった。彼の説明によると、何でも自分が一番でなければ気が済まないそうだ。だから自分の前に自転車が走っていると、どうしても追い抜きたいと思い必死で追い越す。それをやって来たら死にそうになったと話した。
「バカだねぇ」と私は言うしかなかった。でも儀ちゃんは何事も一番を取る為に努力した人だったのはホントのことだ。

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