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2023年9月号

2023年9月号(Vol.324)ダウンロード

2023年9月号1-8面

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2023年9月号2-3面

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2023年9月号4-5面

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2023年9月号6-7面

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2023年9月号1面

関東大震災から100年  自治体が市民を守ることは不可能!?

欠かせないのは当事者意識
 
9月は防災月間で1日は防災の日。1923年の関東大震災をきっかけに、災害に対する心構えなどを育成する目的として昭和35年に制定された。今年は関東大震災からちょうど百年を迎える。
政府の地震調査委員会が発表した今後30年以内に震度6弱以上の地震が発生する確率を示した予測地図(20年版)によると、千葉市の発生確率は62%。地震以外にも台風や大雨などの自然災害に対して、私たちは十分な備えができているだろうか?
これまで防災活動に取り組んできた稲毛区選出の千葉市議会議員、渡辺忍氏と守屋聡氏の協力のもと、地域防災をテーマに対談取材を行い、千葉市が取り組んでいる防災対策や、日ごろの活動を通して感じていることを語ってもらった。(取材8月3日/千葉市役所にて)
 
 
稲毛新聞(以下・稲)
防災と言っても広範囲で語り尽くせないと思いますが、まず避難所についていかがでしょう?
渡辺忍氏(以下・渡)
広く知っていただきたいのが、避難所の運営を円滑に行う「マニュアルBOX」の存在です。円滑に避難所を立ち上げ運営できる方法の一つで、避難所開設から運営に最低限必要なマニュアルや資材が入った箱を自作して避難所運営の訓練を受けた人がすぐに避難所に駆け付けられない場合、箱の中身を活用して誰でも避難所が開設できるように工夫されています。
守屋聡氏(以下・守)
市では希望する避難所運営委員会に見本を貸し出しているので、ぜひ活用していただきたいですね。私は4年前の12月、柏台小学校地区の避難所運営委員会に声かけをして避難所宿泊体験を実施しました。柏台小学校体育館は朝方に室温マイナス2℃まで下がり、体操用マットと持参した寝袋では寒くて眠れないことがわかりました。避難所にはアルミ毛布が備蓄されていますが冬場は床が冷え込み過酷な状態。自治体任せにせず各々が避難所の在り方を考えていかなければと痛感しました。
渡・避難所生活を実際に体験するのは貴重ですね。自治体はハード面を整備しますが、ソフト面は私含め市民主導でやっていかなければと思います。避難所へ行くまでも課題が多くて、例えば自力で避難できない方は「避難行動要支援者」として災害時にどう支援するのか、地域の福祉関係の方も関わり市で避難計画を立てているところです。ケアが必要な方たちのための福祉避難所は、福祉施設がその拠点になる協定を結んでいるのですが、まだ訓練が行われていない施設もあり課題だと感じています。
稲・知人の独居高齢者の元に、市から「避難行動要支援者名簿に載せていいか」という確認の手紙が来たそうです。
渡・それは地域が「支え合いカード」をつくるための最初の一歩で、まだ地域で助け合う仕組みができあがっていない状態です。2019年の議会質問の時点では千葉市内の避難行動要支援者は約3万3千人が名簿に載っていますが、だれが手助けするのか「支え合いカード」が作成できているのはそのうち約2千人でした。ちなみに私の住むマンションは「無事です」「SOS」のカードを導入し災害時に役員が回って安否を確認します。
守・私の住む稲毛ファミールハイツでは緊急時の支援の要不要や緊急連絡先などを記載した居住者カードを自治会に提出していますが、遠方の親戚はすぐに駆けつけられないので近所でサポートする「支え合いカード」の作成は急務ですね。
稲・最近は防災リュックを備えている家も増えたようですが防災備蓄品についてはどうでしょうか?
渡・以前、稲毛区が開催した災害時のマンショントイレ問題の講座がとても勉強になりました。もちろん災害時にはまず命を守ることですが、その次は何といってもトイレ。トイレが使えないと水分摂取を控えて体調を崩す方も増えますので健康面でも大問題。各自、災害用トイレの備えは必須です。
守・その点については、千葉市では災害用マンホールトイレの整備も進められていますね。
稲・なるほど。災害用トイレが必須とは気づきませんでした。
守・稲毛ファミールハイツは、避難所の柏台小学校との間に京葉道路があり、万が一、橋梁が崩れたら避難所への移動は困難になります。そこで自治会で避難所をつくろうと進めていますが、市からは「指定避難所ではないので物資は届けられない」との指摘を受け、市との話し合いを進めています。市に頼ってばかりではいられませんから敷地内にある複数の井戸を電動から手動に切り替える方向で、1300世帯の生活用水を確保できるよう自治会も努力しています。
渡・私の住む500世帯のマンションは自宅避難をメインにしています。マンション内に避難スペースは立ち上げませんが、自治会の防災倉庫に備蓄品があり、各家庭でも物資をストックするよう呼び掛けています。そもそも市民全員が入れる避難所はありませんから自宅避難を考えるべきでしょう。  (2面へ続く)
 
 
 
渡辺 忍
1972年生まれ。千葉市若葉区育ち。未来立憲民主ちば会派所属(無所属)。1993年青山学院女子短期大学卒業、三井物産㈱入社。2006年学童保育の改善活動を行う有志団体事務局。2008年長期休暇中の児童の居場所を運営。2015年千葉市議会議員初当選。2023年千葉市議会議員3期目当選。教育未来委員長。千葉市子ども食堂ネットワーク事務局や、いなげプレーパーク主催、プチルポ稲毛副代表などの地域活動を通し地域づくりをする人を支えている。
 
守屋 聡
1962年生まれ。稲毛ファミールハイツ在住。2男2女の父。防災士。2023年4月千葉市議会議員選挙初当選。日本維新の会・無所属の会幹事長。千葉市消防団第8分団4部元部長。2004年、新潟県中越地震の直後に仕事で現地を訪れた際にライフラインが復旧していないなか近隣住民が家の前で炊き出しを行い、身を寄せ合って生活をしている様子に衝撃を受けた。現在の近所付き合いの希薄さに危機感を覚え、地域の防災ボランティアに参加。それ以降、防災をライフワークとしている。

2023年9月号2面

(1面の続き)
稲・そうした自治会の防災対策があれば安心ですが、それにしても「災害時は市が助けてくれる」と思っている人がまだまだ多いのではないでしょうか。
守・その通りです。防災意識が高い地域とそうでない地域と差が出ています。千葉市は震度6以上の地震が起こる確率が高いのにも関わらず、実際は他人事にとらえている方が多いと思います。
渡・千葉市の人口約97万人に対して救急車は26台。災害時は救急車やタクシーが不足する状況になります。
怪我をしないよう地震発生時に備えて家具や家電の転倒防止策を行ったりと、室内の地震対策にも取り組んでもらいたいですね。
守・千葉市はほかの自治体と比べても防災対策が進んでいるほうだと思います。
渡・たしかに千葉市の防災は設備や業務提携は進んでいますね。
市内の公民館、市立小学校、約150カ所に太陽光発電設備と蓄電池がほぼ整備され、災害時のエネルギー対策が進んでいますから。
守・災害に強い新庁舎が完成し、災害時にも業務機能を失わない総合防災拠点にもなっています。庁舎内の千葉市危機管理センターは情報収集、分析、共有、提供などを行うよう整備されていますし、私たち市民にとっても安心材料かと思います。
稲・市は様々な取り組みを進めているにしては防災情報を目にする機会が少ないような気もします。防災関連の冊子も全戸配布されているそうですが、読んでいない人が多いのではないでしょうか。
守・印刷物を配って終わりではなく「市は防災について精一杯取り組んでいる」というプロモーションや、知ろうとしない人にも目に入ってくるような活動が必要でしょう。その上で、自助を呼び掛けることが大事かと思います。
渡・市は97万人全員を助けに行くことはできませんから、「もっと当事者意識を持って、あなたはあなたを守ってください」と伝えていかなければ…。
他人事に感じてしまう原因は、「きっと大丈夫」「まだ大丈夫」と思ってしまう「正常性バイアス(※注)」です。それを解決するには予備知識、とにかく自ら情報を取りにいくことですね。地域の消火栓や防災井戸、
AEDの場所、ハザードマップで近隣の危険地域を確認したり、
SNSで千葉市広報広聴課をフォローしたり、防災アプリも活用してほしいです。
稲・情報が自動で入るようにすることは大事ですね。最後に、今後の地域防災活動についてお聞かせください。
渡・これまで同様にママに向けての「防災カフェ」などの開催で、一人一人に防災意識を持ってもらうための取り組みを地道に続けていきます。そして、若い力も地域にとって大切な存在なので、大学生の地域活動と防災を結びつけるような新たな活動ができたらと考えています。
守・私が地域の防災ボランティアに参加したきっかけは、2004年の新潟県中越地震。ブルーシートを屋根にし隣近所と煮炊きしている姿を見て衝撃を受けました。地域力はいざというときの防災力ですから、
今後も祭りなどのイベントを通して地元のつながりを増やしていきたいと考えています。また、避難訓練や防災イベントを行い、地域に防災活動をする人たちが常にいると見せることで、
関心がなかった人の目に留まる機会を増やせればと思います。
稲・防災はとても重要なテーマですから、また、ぜひお話を伺わせてください。今日はありがとうございました。
※注
災害心理学用語。都合の悪い情報を過小評価すること。

災害用トイレは必須
 災害用トイレは既存の洋式便器等にビニールをかぶせ用を足し、吸水シートや凝固剤で水分を安定化させ便袋を閉じて保管するもの。電気・水なしでも使えて比較的安価、保管に場所を取らないなどがメリット。
 災害用トイレセットとして市販されているほかゴミ用ビニール袋と凝固剤でも代用可能。1日に平均5回トイレに行くとして1人当たり1週間で35回分。家族全員の1週間分は用意しておきたい。

連載
櫻井俊雄物語
千葉の近現代史を創った男の話
武田弥太郎

第39話「誤認逮捕と名誉回復」

 どんなに警察に不祥事が発生しても、事件や事故など何かあったときにすぐ警察に連絡する私たちの行動が変わることはない。それだけ警察に対する信頼は絶対だと俊雄は言う。それだけに、誤認逮捕が連続して発生すると気分が暗くなってくるという。
 交通事故の現場に戻ってきた人が酒臭かったことから、またすぐに車を運転するはずだと思い込んだ警察官が、呼気のアルコール検査を拒否したとしてその人を現行犯逮捕してしまったが、その人の車はそこにはなかったという話があった。また、事件の被害者を拉致監禁の犯人と勘違いして署に同行し、そのすきに犯人に逃げられたケースや、会社が誇る精密技術による製品が軍事転用される恐れがある輸出禁止製品だと逮捕起訴されたものの、のちに禁止されてはいなかったとして裁判が取り消されたが、会社は莫大な損害を被り、逮捕された役員の一人は釈放される前に拘留中に亡くなったという、取り返しがつかない重大事案も発生した。俊雄は、検察が「逮捕や起訴に誤りはなかった」と、遺族が賠償を求めている裁判で主張していることが信じられないと、唖然としている。
 警察も人の子だから、日常的に完ぺきであるはずもないことはわかっているが、たとえ逮捕・起訴に違法性がなかったとしても、結果が無罪だったら名誉回復の措置が必要ではないかと俊雄は訴えている。
「なんかやらかしたっぽいからとりあえず逮捕して調べてみる」的な捜査が、普通に行われていることは知られていない。逮捕報道は行われても、その後処分されないまま釈放された場合、有名人でもない限り、釈放が報道されることはない。捜査終了が警察から通知されることもないが、世間はそのことを知らされない。人々の脳裏には「あの人は一度捕まった」という記憶だけが刻まれていると俊雄は嘆いている。
 警察が親切丁寧な物言いをしていては悪質な強硬犯人を検挙できないから、たとえ何らかの誤りがあったとしても、事件処理に強く出るべきであることに異論はないが、のちに判断の誤りが判明したときは、決して「当時の逮捕の判断は正当であった」と強弁してはならないと俊雄は言う。世間は「警察の負け惜しみ」としか受け止めないから「警察の名誉回復」にはつながらないとも言っている。
 河井克行元法務大臣の公職選挙法違反の買収事件で、買収された側の元市議の供述が広島地検の利益誘導により行われた捏造証言で、真実ではないと証拠の録音テープまで出てきて騒ぎになっている。
 秋本真利衆議院議員の贈収賄事件で、絶対に賄賂ではないと声高に主張していた弁護士が、一転して「会社を守るため」というよくわからない理由で賄賂だと認める検察有利の証言に態度を変えている。何があったかは裁判の成り行きを見守るしかないが、私たちは、裁判は真実が明らかになる場所だと思っている。決して「有罪認定できる証拠だけが提出される検察による有罪獲得のための儀式の場」であってほしくないと、俊雄は憂慮している。
 昨年、稲毛区内で発生した深夜の死亡ひき逃げ事件、逮捕された二人のうち一人は事故とは無関係だとして不処分で釈放されているが警察発表はない。逮捕報道の際は自宅や会社の映像が全国に流れたが、この人の名誉回復もほったらかしのままだ。 私たち誰しもが、いつこのようなことに巻き込まれ、名誉を失うかもしれないが、警察は守ってくれない。決して他人事ではないと俊雄は警鐘を鳴らしている。



随想
台湾の李登輝元総統
鎌ヶ谷市・元稲毛小校長 島津幸生

 戦争に敗れてから78年たつ。私たちの年代の引揚げは悲しいかな強制で住んでいた場所に住むことがゆるされず内地への引揚げを余儀なくされたのだ、すべてをすてて。昭和51年の厚生省援護局によると、戦争に負けて引揚げた人数(軍人、軍属を除いた民間人のみ)は318万5998人、一番多いのが満州(中国東北部)からで100万3609人、次が朝鮮半島からで71万3303人、3番が中国で49万3635人、台湾は4番め32万2156人である。私は台湾からの引揚児なのだ。台湾からだけが秩序が維持された引揚げであったと言う事実の中で。
 そのためか私は台湾に12回行っている。初めては26才(昭和44年・54年前)まだこの頃は台湾の多くの人が日本語が話せた。20年以上たっているのにどの人も親切であった。ただしこの時代蒋介石国民党政府の秘密警察が街中にいて台湾の人にとって大変な時代であった。今は習近平中国共産党政府による別の恐怖にたたされている。2度めの台湾訪問は50才になってから、その後毎夏連続5回訪問。
 平成21年(66才)、ある会合で一緒だった松戸敏雄(当時千葉市議会議員)さんより私が台南生まれと言うことで千葉県地方議員連絡会台湾農業改善事業(嘉南用水路)視察に一緒に参加しないかと声がかかり同行させていただくことになった。まさかだがその内容に李登輝元総統に会うと言うスケジュールがあった。そして10月18日(水)午後、李登輝元総統からお話をうかがい写真まで撮らせていただいたという栄誉を得た。同行して知り合った板倉巌(茂原市在)氏の帰国後の手紙には「李登輝さんの長時間の講話は日本人にとって目が醒める様なお話で…良い研修で台湾を良く知るチャンスを得たことに心から感謝しています」とあった。まったく私もその通りであった。李登輝元総統は台湾に日本の新幹線を導入してくれたり日本のためにどれだけの声援をしてくれたことか筆舌に尽くせない程の恩人である。立法院議長の王金平(台南出身)氏にも会えたし。それもこれも機会を与えて下さった松戸(88才)氏のおかげだ。お元気でいつまでも長生きしていただきたい人である。

2023年9月号3面

チバカツカンパニー
千葉の活躍企業訪問記
 
海老原ダンススクール
(千葉市中央区)
JR西千葉駅近くのビルに教室を構える。経営者の正志さんと晴美さんは数々の競技会で好成績をあげてきたプロダンサー。多彩な講師陣とともに、初心者にも競技会指向の踊り手にも嬉しい懇切丁寧な指導を実施する。
所在地:千葉市中央区松波2-8-3MAビル2F(JR西千葉駅より徒歩約3分)
 
 
ずっとダンスを好きでいてほしいから、そのための環境を作ろうと努めています
 
 今回、小紙編集部記者・稲しん子が訪ねたのは、西千葉の社交ダンス教室「海老原ダンススクール」。主催者の海老原正志さんと、奥様でダンスパートナーでもある海老原晴美さんにお話を伺い、ダンスの楽しさや教室運営の理念などを教えていただきました。
 
 
開校57年
千葉で指折りの老舗ダンス教室
 
稲しん子(以下・稲)こちらの教室は今年で何年目になるのでしたっけ?
 
海老原正志さん(以下・正)親の代からですので57年目です。私が運営を引き継いで25年ほどになります。
 
稲・では、正志先生は根っからの西千葉民ですか?
 
正・西千葉が地元です。義務教育は緑町小学校と緑町中学校で受けましたよ。
 
稲・ずっとダンスひと筋だったのですか?
 
正・実は違います。小さな頃はお菓子やオモチャのご褒美に釣られて、パーティなどで両親と踊ったりはしていましたけれど、中学高校になると、照れくささもあって、少しダンスから離れた時期もありました。実は普通に大学への進学を考えてたりしたんですよね。でも、受験に失敗してしまいまして…。それを機に考え直し、両親の教室を手伝うことにしたんです。本格的にダンスと向き合ったのはそれがスタートですね。
 
稲・でも結局、ダンスが天職だったということですよね。
 
正・両親の踊る姿を子供の頃から見ていたので、ダンスで生きていくこと自体は自然な選択肢の一つでしたけれど、すんなり後継者の席に収まったわけではなく、武者修行に行くことになりました。都内にある、経営者が元全日本チャンピオンのダンス教室に、約5年間勤務させていただきました。
 
稲・勉強してこいと。
 
海老原晴美さん(以下・晴)アルバイトもしたことがない人だったんで、世間の風の冷たさを知っておいた方が良いということでしょうね。その経験があるから、今も続けられているのではないかと私は思います。正志先生、けっこうお坊ちゃま気質なところがありますもん(笑)。
 
正・かなり厳しく鍛えられましたよ。ダンスの世界って実力本位で、優秀な人は後から来てもどんどん先輩を抜いて行く。私の半年後に入ってきた後輩がまさにそうで、競技会で日本一になるような才能あふれる人でした。あっという間に抜かれてしまい、悔しかったですけれど、その悔しさを知っておくことも私にとっては重要だったんでしょうね。
 
 
自分のペースでのレッスンが可能
年齢に関わりなく楽しめる
 
稲・「無料体験レッスン」というのがありますね。こういうのがあると、私もちょっとやってみたいなと思います。
 
晴・私のスタジオだけでなく、多くのダンス教室が行っていますよ。無料体験をしてみて、自分に合った教室を選ぶと良いです。経営する側としての課題はその後。ここから先は入会金が必要ですとなると、躊躇されるお客様が少なくないんです。そこで、入会金割引、レッスン料もお手頃の「初心者プライベートレッスン」というコースを作りました。これで25分の個人レッスンを10回受けられます。
 
稲・ハードルを下げたのですね。
 
晴・そうしたら、次の「初級者プライベートレッスン」をそのまま受ける方が多かった。これも費用を抑えて10回の個人レッスンを受けられるコースです。計20回のレッスンで、社交ダンスの初歩くらいは何となく身に付いているというレベルになれます。
 
稲・そこまで行けば、継続して教わってさらに上手くなりたいのが人の心理(笑)。
 
晴・もう少し高度なステップを覚えたい方は通常の個人レッスンを受講していただき、踊りたいけれど費用が心配な方はグループレッスンでしたらリーズナブルに受講できます。そのような形で、様々な受け皿を用意しました。
 
稲・選択肢がたくさんあるのは嬉しいです。
生徒さんはどのような方がいらっしゃるのですか?
 
正・それはもうバラエティに富んでいます。
若い方から90歳くらいの方まで。社交ダンスは歳を重ねてもできますから。個人とグループを掛け持ちしている方もいらっしゃいますし、週5日いらっしゃる方もいれば、月1回の方もいらっしゃる。皆様ご自身のペースでレッスンにいらしています。
 
稲・参加の仕方は自由なんですね。
 
正・目の不自由な生徒さんもいらっしゃいますよ。ブラインドダンスというジャンルがありまして、健常者がパートナーとして支えて踊るんです。二人で演じるからこそ広がる可能性があるんですよね。
 
稲・生徒さんも十人十色。
 
晴・誰もが長く続けられる環境を作りたいと思っています。ダンスは趣味として楽しむこともできて、競技会を目指して戦うこともできる。いろいろな道があるんです。自分を出したい人はパーティで発表できますし、ダンス仲間を見つけたいなら公民館のサークルに入っても良いと思います。
 
稲・パーティと言いますと?
 
正・私のスクールが主催しているイベントです。毎年夏と冬に海浜幕張や千葉みなとのホテルで開催していて、それが生徒さんたちの晴れ舞台の場です。アマチュアデモンストレーションという形の発表会なんです。前回は100人近くいらしていただきました。生徒さんだけでなく、応援のお友達も駆けつけてくださるんです。
 
講師陣も多士済々
ウォーキングや整体の先生も
 
稲・そうすると、海老原さんの教室は自分なりの学び方でダンスを楽しめるのが一番の特徴でしょうか?
 
正・そうですね。生徒さん一人ひとりの個性に合わせてレッスンさせていただいています。生徒さんによってはスタンダードがやりたいとか、ラテンをやりたいとか、特定のジャンルを指定していらっしゃる場合もありますし、さらっとでもトータルに学びたいという人もいて、本当に人それぞれなので。
 
晴・先生も多士済々ですよ(笑)。新しく若手の先生にも入ってもらいましたし、ベテランの先生は競技会の世界ではトップランクの経験者もいます。体験レッスンでは私が見て、「この人はあの先生が合いそう」と思ったら、その先生のレッスンをお薦めしたりします。
 
正・ウォーキングの先生もいます。もともとは社交ダンスの世界で大活躍されていたんですが、今はプレシャスウォーキング・インストラクターの有資格者で、長野県から月1回、指導に来てもらっています。ハイヒールで歩く時とか、普段の姿勢がきれいになると生徒さんには好評です。
 
晴・ジェンダーレス化は社交ダンスの世界でも進んでいて、同性同士で踊る「ラテンダブルス」というジャンルができたんですが、
その第一人者と目されている先生にも月1回来ていただいています。そう考えると「月イチレッスン」ってうちの売りかも(笑)。
 
稲・それは面白いですね。
 
晴・整体のスタッフも入りましたし、近々ピラティスの先生も呼ぶ予定でいます。
 
稲・計画が目白押しでこれからも楽しみですね。今後も応援させていただきます。今日はありがとうございました。

2023年9月号4面

千葉一族盛衰記
平高望から千葉一族誕生まで

第四話
賜姓皇族「平高望(たいらのたかもち)の誕生」

歴史噺家 けやき家こもん



時は平安の中期、京の都の南を東西に走る大路を一台の牛車(ぎっしゃ)がのんびり東へ移動していきます。
この牛車にのっているのは、今回の主人公である平高望。後に、平の姓を受けて千葉県に赴任し、高望王流桓武平氏の一流、千葉一族の礎を築くことになる人物です。

平安時代は
 皇族がたくさん!


 今ではちょっと考えられませんが、この時代「〇〇天皇」の子や孫である、いわゆる皇族が京の都にあふれかえっていたと考えられています。
 その最大の理由は天皇や皇族にたくさんの妃がいたからです。例えば、この高望王の曽祖父(そうそふ・ひいおじいさんの意)である桓武天皇は、記録に残っているだけで14名の皇妃がいたことがわかっています。その14名が、平均2人の子どもを産むと28名。この28名のうち半分は男性でしょうから、やはり何名かの妃をめとり、さらに子をなすと、あっという間に数百人になります。
 たった二代でこんな感じですから、桓武天皇から数えて四代目にあたる高望王の時代は、桓武天皇由来の皇族だけでも数千人はいた可能性があります。このように一人の天皇を軸とした場合だけでも、指数関数的に皇族が増えていたわけです。
 朝廷としても、天皇の成り手がいなくなってしまう状況は絶対に避けなければなりませんから、皇族が増えてくれるのは大変ありがたい。また、「自分の娘をぜひ天皇(皇族)の妃に!」という貴族で都は犇めいていましたから、男性の天皇(皇族)としては「ふむ、よきにはからえ」というところでしょう。
しかし一方で、人数が増えれば皇族の皆さまの高貴な生活維持のための費用は膨大なものになっていきます。
 さらに、この時代の皇族の役割は主に
・天皇の傍らに仕えること
・宮廷内での儀式や行事に参加すること
でしたから、いわゆる行政実務をしていません。
 宮廷行政を預かる人たちの本音としては、「ある程度の皇族数がキープできたら、あとの皇族の皆さまは行政事務をする人になってください」という切実な思いがあったはずです。
 しかし、行政事務をする、ということはつまり「天皇のために実務としての仕事をする」ことですから、皇族ではいられません。その場合、皇族は天皇から姓をいただき、天皇の臣下になる、つまり「臣籍降下(しんせきこうか)」する必要があったのです。
 
それでも高望王は
 臣籍をいただいた


 皇族だった人物が天皇から姓をいただき臣籍に下るという判断は、よほどの覚悟がなければできないものと思います。しかし、高望王は、天皇から「平(たいら)」という姓をいただき、臣籍に下る決断をしました。なぜでしょうか?
 それをうかがい知ることができる資料がないので、ここからは事実をもとにした想像でしかないのですが、私は高望王が、皇族でいることに「すっかり嫌になっちゃった」んじゃないかと思うのです。
 天皇のそばに仕えて蹴鞠をしたり、雅楽が鳴り響く典雅な宴で歌合せをしたり。あるいは少しでも上級の皇族にとりたてもらうべく、天皇にこれでもかというほどお追従を並べる毎日。生まれたときからそういう教育を受けている人たちですから、
そのような生活に疑問すらもたない人もたくさんいただろうとは思います。
 しかし一方で、そういった皇族の生活を「まったく面白くない」という人もいたはずです。そういった若き皇族の中には、「広い世界がみたい」と渇望する人物が、必ずいた。この高望王こそ、その筆頭のような人物だったと私は考えます。

高望王が得た役職

 高望王は889年、宇多天皇の勅命で平朝臣(たいらのあそん)を賜与され臣籍降下し、以降は平高望(たいらのたかもち)と称することになりました。
 そして平高望は、臣籍を下げ渡されることと引き換えに、898年「上総介(かずさのすけ)」に就任しています。
 この「上総介」という役職は、ごく簡単にいえば「上総(千葉県内の一地域)の地方長官」です。この役職こそ、若き平高望の「広い世界が見たい」という野望を現実のものにしてくれる大切な約束手形となったのです。
 冒頭の牛車の描写は、平高望が天皇から「上総介」の勅命を受けた帰り道です。牛車の中で、平高望は「ここからが人生だ」と胸躍らせていたのでありました。
 俘囚(ふしゅう)が度々反乱を起こす「Wild Wild East」たる上総の地へ! 息子たちを引き連れた平高望の命がけの東方経営が、幕を開けようとしています。

【著者プロフィール】 昭和46年佐倉市生まれ。郷土史や伝説をわかりやすく、楽しく伝える目的で、落語調で歴史を語る「歴史噺家」として活動。著書に「佐倉市域の歴史と伝説」がある。



エネルギー価格等高騰対策支援金

 電気・ガス等、物価高騰の影響が続くなか、中小企業者の事業継続を支援するため、「千葉市中小企業者エネルギー価格等高騰対策支援金」が創設された。これは千葉市独自の支援で、給付対象は①令和5年4月から9月までの任意の1か月において電気、ガス、ガソリン、重油、軽油、灯油の合計金額が3万円以上であること。ただし上記金額が3万円未満の場合は、原料、材料、仕入物品、消耗品、荷造運賃を含んだ合計金額が令和5年4月から9月までの連続する3か月で月平均で50万円以上あること。②市内に本店を有する法人、または市内に住所を有するか市内に主たる事業所を有する個人事業者。③今後も市内で事業継続する意思があること。以上①~③すべてに該当する中小企業者。給付額は一律10万円。申請期間は令和5年8月25日~12月15日。申請方法はオンラインまたは郵送。詳細はQRコードから特設サイトへ。



2023年9月号5面〜8面

モノレールストーリー

禁じられた初恋

吉成庸子

 

 茂子は生まれてすぐに父を失った。交通事故での死だと母から聞いている。なんでも車はそのまま逃げてしまい犯人は見つかっていないとか。母からその話を聞かされたとき茂子は小学校一年生だった。

 母はずっと会社勤めをしながら茂子を育てていた。茂子の母は未亡人となったときまだ二十六歳、色白の可愛い顔をした人だった。東京に住んでいる茂子の父と、北海道に生まれ育った母の兄とが大学の同級生だった縁で、二人は結婚したという。

 父は東京暮らしで母親と姉が一人いたが、茂子の母との結婚には大反対とかで、ほとんど茂子の母とは付合いはなかった。母の兄は茂子の母を心配して何かと面倒をみてくれてはいたが、結婚式でしか会ったことのない嫁にあまり愛情はわかないらしい。孫の茂子が出来ても北海道から出てもこなかったそうだ。

 茂子の母は、だれにも頼らず茂子を育てようと決心していたらしく自分の母親にも頼らなかった。もっとも兄嫁とそりが合わなかったことが大きな原因らしいが。茂子は保育園の先生やアパートの管理人夫婦に可愛がってもらい少しも淋しさを感じず育っていた。

 茂子が三年生になったとき、茂子の母に結婚の話が持ち込まれた。会社の上司からの話だった。

 相手は千葉県在住で十五歳年上だった。奥さんに亡くなられて六年余りが過ぎ、今は高校二年生の娘と中学二年生の息子がいるそうだ。何代も続いている食品会社を経営し、資産もかなりあるので経済的には苦労はないとのこと。

「茂子ちゃんのことも自分の子供と同じに大切に育てると言ってくれているのだから、いい話だと思うよ」。上司が熱心に勧めてくれたこともあり、見合いをすることになった。

 上司に連れられ、相手の家で行われた見合いには茂子も行った。千葉駅からモノレールに乗ると茂子は窓にはりついて千葉の街々を眺めて、「なんだかこの町に住みたいなあ」と思った。 見合いは和やかなうちに進んでいった。

母の見合い相手は白髪交じりの頭に、いくらか太目の身体の笑顔の優しい人だった。だが高校生の娘さんは、ニコリともしないで、なんとなく茂子には無視されている感じがした。中学二年生だという息子の豊は、ニコニコして茂子に「庭の池に金魚がいるんだよ。見るかい?」と話しかけてきた。「ウン」と茂子が答えると池まで連れて行ってくれた。茂子は兄さんが出来たようでうれしかった。

 見合いは成功。半年もたたないうちに母は勤めをやめ、茂子と一緒に千葉へ越して来た。茂子の母の夫となった重太郎はやさしさと厳しさを持ち合わせている人だった。お手伝いさんが一人いるので、茂子の母は余り家事はしなくてよかったが、茂子という連れ子もいるせいか、神経は存分使っているようだった。

 再婚してからというもの、茂子親子の生活はかなり豊かなものとなっていたのは確かだ。茂子は自分の部屋を初めて持てたし、なによりも母が勤めに出ずに、いつもそばにいてくれたのがうれしかった。

 義父も兄となった豊も、いつもやさしく接してくれたが、義姉は冷たくいじわるばかりした。だが、義姉は大学生になると恋人ができたらしく、外出も多くなり茂子親子をいじめることはなくなった。

 その後、茂子が高校生になったころ、義姉は結婚して家を出ていき、母もすっかりこの家の主婦となった。

 茂子は新聞記者になりたいと思い、そっと豊にだけ打ち明けていた。豊は「がんばって。絶対に夢を叶えな」と応援してくれた。

 茂子はいつの間にか、豊に恋している自分に気が付き、自分で愕然としていた。「血は繋がっていなくても豊は兄さんだ。そんなの許される恋じゃない。早くそんな気持ちは捨てなきゃ」と茂子は自分を叱り続けていた。

 そんな中、月日の流れは速く、茂子は大学生になり、豊は父の会社で働いていた。豊は見合いをして一年後の結婚式が決まった。茂子は「私の初恋は完全に終わったのだ」と自分に言い聞かせ、豊の幸せだけを祈ろうと決めた。

 休日の午後、父と母は二人そろって結婚式で外出、お手伝いさんも休みをとっていた。家の中は豊と茂子の二人だけ。豊が「茂子。珈琲いれるからおりておいで」と二階の部屋にいた茂子を呼んだ。 

 茂子がリビングに入るとテーブルの上で珈琲が香りを漂わせていた。さっそく一口飲んで「お兄ちゃんの珈琲って本当においしい」と言った。「あのさ、茂子まだ恋人出来ないのか?」と豊が聞く。「ウン、まったく出来ないよ」。あっさり答える茂子に「けっこう茂子、美人なのになあ…」と首をかしげてから「おい、今夜千葉で食事しよう。その前に映画を観てさ」と言い出した。「うれしい。お兄ちゃん、車じゃなくてモノレールで行こう」。茂子は言った。「そうだな、昔よく乗ったなあ。子供の頃。茂子モノレール好きでさあ」。二人仲良くモノレールに乗った。

 窓の外を眺めている茂子の肩にそっと豊が手をかけて「茂子、僕よりずっと良い男をみつけて幸せになれよな」とやさしくつぶやいた。

 モノレールは間もなく千葉駅のホームに着いた。

 

 

随筆

はるか昔の夏の思い出

吉成庸子

 

 暦の上では立秋。でも、まだまだ暑い日が続いている。

 長かったコロナが下火になってきてようやくいろいろな集まりが出来るようになった。

 マスクも自由になったのだが、私はまだ外に出るときはマスクをしている。息苦しくて嫌いなのだけれど、やっぱりまだコロナがこわい。最近でもコロナにかかった友達が何人かいるもの。

  そうそう、マスクといえば、儀ちゃんは夜寝るとき必ずマスクをしていた。風邪をひかないため、喉を守るためと言っていたが、夜中目が覚めたときなど、真っ暗い中にマスクだけが浮き上がって見えて、何度ビックリしたことか。

 自慢にもならないが、私はいつも寝るときは一人だった。だから急に目覚めたときはとっさに状況がのみ込めない。

 喉がかわいて突然その時は目を覚ましたのだが、近くにおぼろ月が浮かんで見えた。

 私は「ああ、宇宙旅行をしている夢を見ているのだな」と思ったものの、私はお月様をつかみとろうと考えた。そして、手始めにおぼろ月をたたいてみた。

 すると月が「イテテ、何をする!」と大声をあげたのだ。私がおぼろ月と思ったのは儀ちゃんのはげ頭だったのだ。 

 その時点で私は現実に戻った。ああ、私は結婚して今四街道にいるのだ。隣に寝ているのは亭主の儀ちゃんなのだと。

 こりゃ大変、怒られると私は急いで布団にもぐりこみ、じっと寝た振りをした。幸い儀ちゃんは、そのまま眠りに戻ったらしい。ホッとして私は眠ろうとしたが、なぜかなかなか寝付けなかった。

 翌朝、儀ちゃんが「なんだか夜中に頭を殴られた様な気がするんだが、夢を見たのかなあ」と言う。私は「夢だよ。変な夢見たんだよ、きっと」と強く言った。

「今夜は六時半頃帰れると思う。庭の水まきだけはやっておいてくれ」と玄関で命ずる彼に「ハイ、わかりました。ビール冷やしておきますね」とやさしい声で彼を送り出したっけ。

 夏の水やりは私の慣れない仕事の一つだった。だから私は夕立が来ますようにといつも神様にお願いしていたっけ。

 六時半、時間通り儀ちゃんが帰って来た。「あのさ、かなり激しい夕立があったの。だから水まきはしなかった」とまず私はそう報告した。「おお。あれだけ降ったのだから大丈夫だ」という返事にホッとしながら「じゃ、今夜はゆっくり二人で飲みましょうね」と言ってからビールを出してお酌をする。「つまみは塩辛と冷奴よ」と優しい声で告げる。「ああ、家でゆっくり飲むビールは格別だなあ。ほら、お母さんも一緒に飲みなさい」。

 上機嫌な儀ちゃんの顔を眺めながら、「私はどうしてこの人に、毎晩ただでお酌しているんだろうなあ」と一瞬だけど思ったものだ。

 

 

 

8月号の読者アンケート

夏を乗り切るスタミナ料理

 

◎ニンニク入り料理

ニンニクの効いた野菜カレー。畑で作ったニンニクをたくさん入れてます(高浜・石川篤久)(稲毛東・ひまわり)。にんにくを効かせた豚肉の生姜焼きです。千切りキャベツを添えマヨネーズものせます。そして特に朝食には具沢山の味噌汁も有効です(あやめ台・杉崎勝)。我が家はニンニクを色々な料理に入れます。焼きそば、そうめんのつゆにも入れます。外食では「餃子の王将」の「ニンニク激増し餃子」がおススメです(高洲・武田勝利)。豚肉の生姜焼きです。ニンニクを沢山入れて焼きます(幸町・上田節子)。鶏肉のニンニク炒め、生のキュウリに味噌を付けて食べる(稲毛海岸・成田節雄)。豚肉のニンニク生姜焼きです。鉄分と滋養強壮で夏バテ知らずです(高洲・原國臣)。

 

◎うなぎ

我が家ではこの季節に最低でも1年に1回は家族みんなで「うなぎ」を食べてスタミナつけてます。さっぱりした味付けで肉野菜炒めもおススメです(幸町・大浦穂乃香)。ウナギですね。土用の丑と言わず夏の間に何度も食べます(高洲・小坂孝一)。千葉駅近くの「成瀬」のうな重が絶品です。山椒を効かせるとスタミナが倍増します(園生・関恵美子)。夏は色々な料理にする事。特別に食べるうな重又肉屋へ行きサーロインステーキかな。気分よく帰り休める(四街道・粟村道生)。うなぎでスタミナつけています。スーパーで買ってきたうなぎは水でタレを洗い流して、よく水気をふき取ってから、フライパンに入れお酒をかけてふっくらさせます。そして、みりんと醤油で味をつけます。こうすると買ってきたうなぎをレンチンするより、ずっとおいしいです(磯辺・ももこ)。

 

◎焼肉

やはり焼肉でしょう。焼いている時の匂いと煙。夏の暑さに負けないスタミナがつく料理です(六方町・泉谷正誼)。スタミナ料理はにんにくをたっぷり入れた焼肉に限ります。食が進みますし体力もバッチリですので1週間に2回は食べたいですね(八千代・牧けい子)。やはり「豚肩ロースの生姜焼き」が一番。玉ネギと生姜がたっぷり食べられます(小仲台・田渕良子)。たまに焼肉食べ放題のお店に家族で繰り出し、夏を乗り切ります(みつわ台・ぼくちゃん)。近年の異常な暑さには、閉口しています。私が夏を乗り切るスタミナ料理としては、冷やし中華や焼き肉です。室内を冷房して、スタミナがつくと言われているニラやニンニクを沢山入れて食べます。そうすると、一時的に元気が出るように、思われます。しかし、一番良いのは、秋になる事ですね(船橋・渡辺孝幸)。焼肉。家でミスジ・イチボ・ザブトンなど野菜と一緒に食べています(長沼原・花田英雄)。夏を乗り切るスタミナ料理は焼肉ですね(黒砂台・中村博之)。家で焼肉。においが残ると敬遠する人もいますが、翌日には消えるため、我が家では問題なしです(打瀬・松原保司)。「月並みながら定番かつ不変の焼肉料理である。昔若いころ韓国での建設工事に没頭して以来、スタミナ切れを防ぐ方法としてキムチと焼き肉は家庭でも欠かせない。ニンニクを多量に使い青い野菜の葉を山ほど使い焼きあがりを待ち遠しくほおばった。今でも嫌われ役のニンニクを青森産に限定し和牛のおいしいところを贅沢に家庭で味わっている。ここまでは焼肉プルコギ礼賛だが韓国通の私が反韓国である。狭い反日思想は当面親日の気配なない。理由は小学校以来の徹底した教科書記述による。これを改定しない限りはダメである(高洲・大内健司)。何といっても焼肉です。西千葉の昌慶苑さんが好きです。安くておいしいので、家族で伺っています。以前、稲毛新聞で紹介されて行ってみてから、すっかりファンになりました。夏にスタミナをつけるにはお肉が一番でしょう(稲毛東・斎藤智子)

 

◎餃子

家でのスタミナ料理は特別ありません。強いて挙げれば韮の入ったおかず、餃子料理である。たまに鰻を食べる程度です。外食では餃子をよく食べます(浜野・柳澤範光)。夏バテのときは餃子を食べたくなりますね。外でもよく食べますが、自宅では家内の手作り餃子がおいしいです。水餃子と焼き餃子にして家族で楽しんでいます。ニンニクもたっぷり入れて元気もりもりです。とはいえ、においが気になるので休日前しか食べられませんが。(園生・ちーちゃんママ)

◎その他

庭でとれるゴーヤにニンニクを少し加えたゴーヤチャンプルーが夏バテ防止の逸品です(園生・関直安)(小仲台・瀬下仁美)。ニラレバイタメ オクラ入り納豆(瑞穂・勝目久雄)(高洲・宮川一郎)。ナスのみそいため(千城台東・松沢伸二)。鍋料理が中心でしたが流石の暑さで、いかそうめん、まぐろ切り身、しゃけなど魚に切り替えました(検見川町・荒木昭治)。特に無し。あえて挙げれば、焼肉利用で冷たいビールを飲むこと(千城台東・寺本勝)。夏を乗り切るには野菜・肉・魚類を均等に食べることです(あやめ台・一森万亀美)。私は大の巨人軍ファンです。我が家の事でないですが、巨人軍の公認スポーツ栄養士田中愛子さんは「暑い夏だからこそ鍋料理はお薦めです」と話しています。夏こそ鍋。野菜たっぷり、温かい汁、胃腸に優しく食欲の減退は成績に繋がりかねない。夏はいつにも増して栄養管理には注意が必要と新聞にありました(六方・阿部ちい)。カレーライス(園生・丸山宗男)。アジやいて、ミソはこがしてゴマをする。薬味たっぷり夏は冷汁(あやめ台・藤原健次)。①納豆ごはん(納豆+卵+ネギを混ぜてあったかいご飯にかけて)②オクラと長芋とニンニク(オクラを湯がいてかつおぶしをかけて食べる)(稲毛東・柏木計二)。①アボカドのチーズクリーム和え②ニラを多く入れた手作り餃子③黒ニンニクと各料理にすりおろしニンニクを入れる。それぞれ食感も良いです(稲毛東・小林忍)。

 

※一部抜粋して掲載

 

 

千葉駅前大通りが市民アートの屋外ギャラリーに

 

 パラソルギャラリーは、毎年10月第1土曜日と日曜日に千葉駅前大通りで開催される大規模な屋外イベントだ。街に市民アートの舞台をつくり、手工芸品、絵画、書など、手づくり作品が並べられ、交流とにぎわいを生みだす目的で開催されており、2019年には来場者約が1万4千人を超えたという。コロナ禍による感染防止対策のため、昨年度から規模を縮小し開催。約50本の白いパラソルが間隔を空けながら、千葉駅前大通りから千葉中央公園に続く沿道に並ぶ。

 このイベントはクリエイターである出展者に街路をアートギャラリーとして利用してもらうことで普段とは違った空間をつくり出し、千葉の街を彩ってきた。

 前身となっているのは2000年にスタートした「都市景観市民フェスタ」だ。当初は市から補助金を受け、学生が中心となり企画・運営を行っていたが、10年が経過し補助金の終了後は、市民からの出展料や沿道企業の協賛金で運営されているほか、今年度の活動の一部は、YS市場コミュニティ財団の支援も受けているという。現在、企画・運営は市民スタッフが中心となり、学生がそれをサポートしている。

 パラソルギャラリーは今年も10月に開催される。秋空の下、千葉のアートに触れてみてはいかが?

■開催日時

2023年10月7日(土)・8日(日) 10時~16時

■場所

千葉駅前大通り(NTTビル側歩道上)

 

 

第48回「千葉の親子三代夏祭り」

4年ぶりの開催で大盛況

 

 千葉市の夏の風物詩が4年ぶりに戻って来た。「千葉の親子三代夏祭り」が8月19日(土)、20日(日)の2日間、中央区の中央公園周辺で開催され、コロナ禍前のような盛り上がりを見せた。

「子供たちに夢を、ふるさとづくり」をテーマに開催されるこの祭りでは、文字通り「親・子・孫」とどの世代の人も楽しむ様子が伺えた。会場の中心となる中央公園のステージでは、ダンスパフォーマンスやライブイベントが繰り広げられ、屋台や縁日のコーナーは、この日を待ちわびた大勢の来場者で埋め尽くされた。

 周辺の通り沿いにも、飲食店や地域団体の屋台が並び、バラエティに富んだグルメが大集合。メイン通りでは酷暑のなか、武者行列や神輿、よさこいチームや地元団体のパレードが祭りに華を添えると、沿道から大きな拍手が送られた。メインイベントである「親子三代千葉おどり」には揃いの浴衣に身を包んだ地元の人々など、市内外から約2千人が参加し、祭りのフィナーレは活気で溢れていた。

 

 

読者の声

●作草部駅下交差点

 

モノレール作草部駅下の交差点は非常に問題がある。まずバス停から交差点までの距離が短く、右折する路線バスがかなり強引に車線変更をするのだ。私も運転中何度かヒヤッとしたことがあった。そしてこの交差点、モノレールの支柱のおかげで右折レーンがほぼない。

ここは稲毛方面から来て西千葉方面に右折する車が多いのに。更には右折車用の青信号もない。そのため信号が赤になっても数台の車が強引に右折していくのが見受けられ危ない。それでも右折待ちの車は増えて右側車線には車が並ぶ。そこにバスが加わったりすると本当に危険だ。色々改善するところはあると思うが、まずは右折車用の青信号の設置を強く望む。(轟町・佐藤)

 

●真夜中の騒音

 

 現在居住しているマンションですが、今年に入り夜中から未明にかけモーター音のような音が止まりません。3~4回、5分位大きな音が響き渡ります。その都度目が覚めしばらく眠れなくなるのです。もうほぼ毎日です。管理会社にこの状況を訴えても対策をとってもらえない。このままでは身体的にも精神的にもよくありまえん。大金を払って買ったマンションなのに泣きたい思いです。管理会社には是非対策を考えてほしい。安眠、良好な住環境を切に願います。(中央区浜野・柳澤範光)

 

●乱暴な運転手

 

 私は毎朝通勤で稲毛駅に向かう手段としてバスを利用しています。朝8時半過ぎに草野団地入口から乗車します。最近何度か少し乱暴な運転をするバスに乗ることがありました。この路線はすごく渋滞が多く、時刻通りに走れていないのはわかるのですが、穴川駅を過ぎ少し流れ始めるとスピードを上げ、急に車線を変更、穴川十字路を右折するときは立っている人たちがよろけて危ない思いもしました。もちろん運転手さんの研修や教育は行われているとは思いますし、この運転手さんがいつもこのような運転をするとは思いませんが、

ひと言言いたくなったので投稿しました。

  (稲毛区・荒田)

 

●コロナに感染…

 

 8月上旬コロナに感染してしまいました。少しのどが痛いと思っていたら翌日38℃の熱がでたので病院に行くと陽性だと言われました。今けっこう感染者が増えているらしいです。その日は帰宅し自分の判断で家族と接触しないようにし、職場も3日間休みました。それほど大変なことにはなりませんでしたが、病院も会社も昨年のような緊張感は感じられず、本当にこのままでよいのかどうか考えずにはいられませんでした。

 (登戸・山田真木)

 

●4年振りの夏休み

 

 4年振りに行動制限のない夏休みなので群馬県安中市の実家と少し足を伸ばして軽井沢へ行ってきました。お盆休みとあって東京駅は人が溢れるようでした。新幹線の指定席が取れなかった我が家は自由席で立ちっぱなし。小学3年の子どもがややぐずりましたがなんとか目的地に到着。

小学生になった娘と久しぶりに会う両親はとても嬉しそうで、

大変な思いをして帰省した甲斐がありました。軽井沢もたくさんの人で賑わっていました。オシャレなお店で食事をして、お土産買って、数年振りに親の顔も見れて楽しい時間を過ごせました。もうマスク姿の人も少なくなり、平穏な日常が戻ってきたのだとしたら、本当に嬉しいですね。

 (稲毛新聞ファン)

●読者の声への投稿はハガキ・FAX・メールで

 

 

稲スポ

 

甲子園優勝の慶応・渡辺憩捕手は地元小中台中出身

中学総体バレー男子もVなど千葉市勢が大活躍!

 

  全国高校野球選手権大会が先月6日から阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)で行われ、決勝戦で慶応義塾(神奈川)が前年覇者の仙台育英(宮城)を8―2で破り107年振りの優勝。慶応義塾の捕手渡辺憩選手は稲毛区の出身、地元稲毛にとっても誇らしい全国制覇となった。

 また、千葉県代表の専修大松戸(松戸市)は初戦で東海大甲府(山梨)に7―5で勝ち千葉県勢夏通算100勝を達成した。3回に中山の犠飛で先制、中盤以降点の取り合いになったが7回に逆転、そのリードを渡辺翼、青野の投手リレーで守り切った。

◆8月12日

東海大甲府(山梨)

 000103100=5

 00130030×=7

専大松戸(千葉)

千葉SSは地元船橋に凱旋。ゲストにお笑いのTIMが来場

 

 千葉県初のプロ野球独立リーグ、ベイサイドリーグの千葉スカイセイラーズが先月7日、地元船橋市民球場で2度目の試合を開催、ゲストとして元高校球児でもあるお笑いコンビTIMのゴルゴ松本さん、レッド吉田さんが来場、始球式ではゴルゴ松本さんがお約束の天狗打法を披露、途中トークショーや試合終了後のヒーローインタビューでも大いに会場を盛り上げた。試合はスカイセイラーズが地元ファンの声援を受け快勝、地元開催に花を添えた。

 

◆8月7日(船橋市民)

YKSホワイトキングス

 000100000=1

 30000210×=6

千葉スカイセイラーズ

 

小中台中男子バレーボールが県大会優勝

 

 千葉県中学総体バレーボール競技が県内各会場で行われ、男子は地元稲毛区の小中台中学校が決勝で習志野七中(習志野市)をセットカウント2―0のストレートで破り優勝を決めた。

 

◆決勝

小中台2―0習志野七

  ①25―11

   ②25―20

 

打瀬中陸上部が快挙

 

 先月7日から茨城県で開催された第51回関東中学陸上競技大会では、打瀬中学校(美浜区)が活躍を見せた。男子400mリレーで43秒45の千葉市新記録を達成し予選を突破すると、決勝でも43秒53という好記録で3位入賞を果たした。

 

8面 市民ガイド

 

まちスポ稲毛(フレスポ稲毛内)

にじのフェスティバル

 

~千葉市のフリースクールが大集合~

小中学校に行けない、教室に入れない不登校に悩む親子さんはもちろん、すべてのママさん、すべての先生方にも参加していただきたいフリースクールの情報が満載のイベントです。ぜひ自分に合った居場所を見つけてください。

▼会期:2023年9月18日(月・祝)10時~16時30分(雨天決行・野外一部中止)▼会場:まちスポ稲毛(千葉市稲毛区長沼原町731-17フレスポ稲毛内)▼入場料:無料▼内容:フリースクール紹介ブース(コードアドベンチャー/ちば森の楽校/こころね地球学校/千葉グリーンスクール/スペース海西千葉/児童家庭支援センター子里/多文化フリースクールちば/まなびスペースCOCOKARA/夢プラネット/こころチカラ心の相談室/にじのそら学園PLSほか)・親子英語リトミック・ファミリーコンサート・英語deマジック体験・絵本の読み聞かせ&体操・キッチンカー販売・かき氷販売・芸人ライブ・即興ラップソングライブ・ヨーヨー釣り&輪投げ・シャボン玉作り・マジックバルーンアート・アロマボトルスプレー制作など▼問合せ:090-6037-6715(鈴木)

 

◎ギャラリー古島

①今・ときめきの女性陶芸作家展

井口雅代/神谷祥子/高橋朋子/安田直子

日本伝統工芸展、東日本伝統工芸展、その他の公募展等で発表活躍している人気の女性作家をご紹介。

▼会期:現在開催中~2023年9月11日(月)※9月7日(木)休廊

②-色彩と素材のマジック-吉田はつみ展

太陽に向かってのびのびと成長する植物をイメージし自由で着実な創作活動にはげむ吉田はつみ氏。おおらかな生命力を感じる、ドキドキ・ワクワクの作品展。

▼会期:2023年9月15日(金)~9月25日(月)10時30分~18時30分(最終日のみ17時まで)※9/21(木)休廊

③安藤破竹展 -書-

▼会期:2023年9月29日(金)~10月4日(水)

▼場所:千葉市中央区春日2-25-11古島籐家具店2階(JR西千葉駅西友側徒歩1分)℡043-243-3313 

 

※市民ガイドは8月末時点の情報です

有限会社稲毛新聞社
〒263-0043
千葉県千葉市稲毛区小仲台2-5-2-1001
TEL.043-256-4414
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